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2023.03.15 Wednesday
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日本でラストスパート!
2010.03.29 Monday
今月18日、オットが帰国して、一瞬このまま、またここで生活が始まるのかしら!?と錯覚を起こしそうでしたが、やっぱりそうではありませんでしたね。 オットが帰って来てから毎週末は、一年以上会っていなかったオットの友人達からの食事のお誘いで、毎回歓迎会と壮行会が一緒になったみたいな会になってます。でも今度は私たち夫婦が一緒に旅立つということで、みんな一安心です。 ここ長崎での生活も、残りあと2日になりました。 ここで料理するのも明日で終わりです。明後日の朝までか! 最近は私が食べたいものばかり作るので、もちろん日本食三昧です。しかも冷蔵庫のあまり物と残った調味料を使いきることに徹しているメニューが続いていますが、オットは何も文句も言わず「美味しい、美味しい。」と言って食べてくれるので、感謝感謝です。 あと少しだ頑張ろう アメリカ大使館 ビザ面接の様子 その3
2010.03.25 Thursday
その1、その2はこちらへ。 いよいよ、最後のビザ面接。 2回目に呼ばれたスタッフとは違う、アメリカ人女性のブースへ。 面接といっても、カウンターのガラス越しに行われるので、時間にして私の場合は10分程度で終わりました。 面接の内容は、オットと予想していたとおりで、 二人の出会いから、交際、結婚、そして現在に至るまでのことを色々と聞かれました。 面接は英語で行われました。英語が話せるなら英語で、という感じでした。 難しい質問はなく、面接スタッフも緊張しないようにと、気を使ってくれているので、和やかな雰囲気で話すことが出来ました。 そして、最後にその場で面接スタッフから、 「全て問題ないので、あなたはビザを許可されます。おめでとうございます!」と伝えられ、面接が終了しました。 何とも言えない解放感で、ちょっと椅子に座ってぼ〜っとしてから、大使館を後にしました。 10:45分でした。 アメリカ大使館のホームぺージによると、(以下一部抜粋) 「ビザの資格があることが明らかになりビザが許可された場合は、パスポートやその他書類を郵送します。手続きや郵送に要する期間は約1週間です。」 ということで私は、数日後に家に帰りましたが、なんとビザはEXPACK500便で、面接の翌日には届いていました ビザの有効期限は健康診断受診から6ケ月しかないため、それまでに渡米しなければいけません。私の場合、2010年4月21日が有効期限なので、あまり期限がないこともあってでしょうか。既にそれを考慮して渡米日を決め、航空券も購入済みを伝えていたからでしょうか!? とにかく、一安心出来ました 次はグリーンカードです!(←クリック) そして、ビザ面接の様子(おまけ)がありま−す。(←クリック) アメリカ大使館 ビザ面接の様子 その2
2010.03.24 Wednesday
その1はこちらからどうぞ。 セキュリティチェックを抜けて、いよいよビザ面接会場の中へ。 会場の中の雰囲気はパスポートセンターの様で、カウンターに10個のブースがあって、番号を呼ばれたところへ行って手続きを進めて行きました。 番号札を取って、番号を呼ばれるまでに、必要な書類をメモの通りに並べて待つように言われました。 私は殆どの書類は既にNVC(National Visa Center:ナショナルビザセンター)へ送付していたので、持参したものは、パスポート、写真、ExPACK500(ビザ送付用封筒)と、例の大きな封筒(健康診断書類)くらいです。この大きな封筒の持ち運びには苦労しました 念のため、NVCへ提出した書類の全てはコピーして持参しました。APPOINTMENT COVER LETTELも忘れずに! NVCからは、間違いなく必要書類は受け取っている、という案内をもらっていたので、不安もなくそれ以外のものだけの提出準備をしました。それが書かれた、「APPOINTMENT COVER LETTEL」も忘れずに持っていました! そして、1回目「私の番号224番」が呼ばれました。 1回目は、持参した書類を提出して、内容確認。 内容に不備や問題がなければまたしばらく待つことになります。書類確認は、日本人スタッフが対応されました。 そして、2回目、今度はアメリカ人女性スタッフのブースへ、 そこでは指紋採取をして終わりでした。 そして、最後はいよいよビザ面接です。 そういえば、会場にはカップルで来ている人と、私のようにビザ申請者一人で来ている人が半々でした。ほとんどの申請者は女性。でも日本人だけとは限りませんでした。 中の雰囲気はアメリカ、トイレもラブソファーとテーブルが置いてあったり、個室もドアの足元が空いていたりと。でも「音姫」が設置してあったのにはちょっと笑ってしまいました。 その3へつづく。(←クリック) アメリカ大使館 ビザ面接の様子 その1
2010.03.22 Monday
今日から数日、忘れないうちに、アメリカ大使館でのビザ面接の様子を記事にします。 2010年1月21日付けで届いた、NVC(National Visa Center:ナショナルビザセンター)からの、APPOINTMENT COVER LETTERに書かれたビザ面接の日付は、3月15日(月)9:30。(選択の余地なし) 必要な書類を持って、いざ東京のアメリカ大使館へ行ってきました。 最寄り駅の最寄り出口を出て(銀座線 溜池山王 13番)、それらしき方向に歩きながら大使館の建物を探していたら、いつの間にか辺りは外国人だらけで、みんな同じ方向に歩いて、同じ建物に入って行くので、直ぐにそこがアメリカ大使館だと分かりました。 少し早かったけど、8:45分に大使館のゲートをくぐりました。 ゲートの小さな建物の入り口で、日本人の警備員が「APPOINTMENTO COVER LETTER」の日程を確認します。 次に中で、セキュリティチェック(空港と同様)を受けます。空港と違うのは、携帯電話、電子辞書やパソコンなどはその場に預けて、中への持ち込みは出来ませんでした。 私は携帯を時計代わりに使っているので、面接会場の中にも時計がなく、結局終わるまで時間が分からず、全て終わって出てきたら、10:30分でした。 アメリカ大使館のホームページには、ビザ面接に3時間かかるようなことが書いてありましたが、思ったより早く終わりました。 私の知り合いは、面接時間を8:30と指定されていたので、極端に早すぎなければ受付をした順に名前を呼ばれて、進めてもらえるみたいでした。 セキュリティゲートを抜けて、一旦外に出て、少し歩いてからいよいよ面接会場の中へ入ります。入り口には、少し強面のアメリカ人ガードマンが座っていました。でもにっこり笑うと、笑い返してくれました。 番号札「224番」を取って、いよいよ始まりです。 その2へつづく。(←クリック) 故郷はどこに
2010.03.21 Sunday
先日日本へ戻ってきたオットが、今回の旅の事を、 ビッグなプレゼント^^
2010.03.18 Thursday
先ほどオットと二人で我が家へ帰ってきました! 待ちに待ったオットの帰国。 福岡空港の到着ロビーで待つ私の前に現れたオットは、予想した通りちょっぴり大きく成長していました。おデブちゃんになってたってことで 今日でアメリカと日本の二重生活もクローズされました。めでたしめでたしです。 それに今日は私のBirthday! 神様からビッグなプレゼントをいただきました 元気に帰ってきてくれてありがとう ご報告 アメリカ大使館でのビザインタビューも無事終わりました。そして、なんと翌日には自宅にビザが届いていました。今まであんなに待たせておいて、今回アメリカさんの早い仕事に驚きです インタビューの様子は、後日アップします 神戸の街とサンチカ
2010.03.11 Thursday
今日も神戸へ歯の治療に行ってきました。 これで、渡米までにあともう一度診てもらったら、なんとか落ち着くと確信してます! およそ三年間通った神戸の街。 いつも、新神戸から地下鉄で三宮まで行き、三宮からは、サンチカ(三宮地下街)を歩いて、元町にある歯医者さんへ行きます。 そのサンチカ(三宮地下街)でいつも流れる、テーマソング。 風はい〜ま せいいっぱいに 呼吸をしてる いつだ〜って せいいっぱいに 呼吸をしてる We Love Kobe〜 サンチカ〜♪ だったかな? ばんばひろふみさんが歌っているそうです。 どこか懐かしいメロディーで、 私には、「大震災後、神戸は頑張っているよ〜」と歌っているように聞こえますが。 近頃はついつい口ずさんでしまうようになりました。 「神戸が好きですか?」と聞かれると、よくわかりませんが。嫌いではありませんよ! アトピーが酷い時に通っていた街だから、いつも帽子をかぶって、手袋して、下を向いて、早歩きに通り過ぎた街です。好きとか嫌いとかではなくって、黙って見守ってくれてた街って感じなのかな〜。怪しい人と思われていたかも知れません。 今日もいつものように聞こえてくるサンチカのテーマソング。でもいつもと違い、今までの3年間が走馬灯のようによみがえってきて、もうすぐ終わりと思うと、うるっとなりました。 でも不思議。渡米を目前にして歯の治療もきれいに終わってしまうなんて! やらなければならないレールが、初めから敷かれているような気がします 友人のお母さん
2010.03.10 Wednesday
今日は、2月に高校時代の友人のお母さんが亡くなられたので、福岡のお宅へお参りに行った。 30年ぶりだろうか、当時はいつも学校の帰りに友人の家へより、おしゃべりしたり、テレビを見たり、夕飯を御馳走になったりしていた。なぜか勉強を一緒にした記憶はない お互いに家を行き来して、泊ったりもしてた。 当時仲が良かった4人組み。 そのうち、私も含めて3人が母を亡くしている。 早くに母を亡くした私は、することなすこと周りには危なっかしく見えたのか、いつも優しく、いろいろ教えてももらっていた友人のお母さんたち。自分では意外としっかりしてると思っていたけど。 だからせめて、みんなのお母さんには長生きしてほしいと願う気持ちが強かっただけに、亡くなられたと聞くと胸が引き裂かれそうになり、すぐに飛んで会いに行きたくなる。 高校時代の懐かしい思い出一杯のお家にお邪魔して、時間が経つのも忘れて、あの頃の思い出話しに花が咲く。 「あなたたち相変わらず変わらないわね。」な〜んて言って、友人のお母さんがひょっこり奥から出てこられそうな気がしてならなかった。 でもきっと、そんな思いで私たちの話を聞いてくださっていたことでしょう。 渡米する前に、思いがけず懐かしい思い出に浸れる時を過せたこと、友人のお母さんがこの機会を作ってくれたような気がしてならなかった。 やっと順番きました
2010.03.08 Monday
昨年11月だったかな、図書館に行って読みたかった本が貸し出し中だったためリクエストしたら、なんと5人目。 、そんなに人気あるの!!ていうか、私が借りたい本結構貸し出し中が多いので、ここの図書館は本の数少ないと思います。 リクエストしていたこと忘れておらず、日本に居れるのも残り少なくなったので、「やっぱり縁がなかったのかな〜。」なんて思っていたところ、図書館から電話が! ついに私の順番が来た〜。 そんな大げさに言うほどの本かどうかは、読んでみないと分からないけど、 明日は図書館へ本借りに行ってこよう。 でも、こんなことしていていいのかしら
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